コラム

最強の日本ブランドだった「真珠」





1945年、それは日本にとって戦後がはじまった大きな意味を持つ年です。実は戦後の日本で真珠が最強のブランドだったという事実をご存知でしょうか? 日本は真珠が救った。そう言っても過言ではないのです。

戦前から日本の真珠養殖技術は世界を席巻していました。いまでこそ信じられませんが、ヨーロッパのトップメゾンは養殖真珠=偽真珠というキャンペーンを張り、日本の養殖真珠を受け入れられませんでした。そこに風穴をあけたのが、圧倒的な影響力を誇ったココ・シャネルです。

シャネルが救った日本真珠


シャネルの黒ドレスにあわせるのは白の真珠と決まっていました。シャネルは真珠=天然というこだわりはまったくなく、養殖や模造品も大胆に取り入れ、大量の真珠とつかったロープ状のネックレスを世に送り出したのです。

相性良く合わせられるものを徹底的に使う。シャネルの合理性は世の女性の支持を受けて、広がっていきました。その恩恵を受けたのが日本の真珠だったのです。養殖=偽物ではなく、安定的に使え、しかも天然真珠より安価というメリットの大きいものとイメージが変わったのです。

この時点でブランドは確立されていた。そう言っていいでしょう。

戦争は真珠産業を停滞させた


ところが、世界を席巻した日本真珠にブレーキがかかります。それはトップメゾンの攻撃でもなければ、他国の進出でもなく、自国によって踏まれたものでした。1930年代から始まった「戦争の時代」。徐々に悪化していく戦況のなかで、ぜいたく品のレッテルを貼られた真珠は製造禁止になってしまいます。日本ブランドを自ら手放してしまいました。

戦後の日本を救った真珠




1945年8月15日、長かった戦争は終結し、日本はアメリカを中心としてGHQの日本統治が始まります。敗戦で焼け野原となった日本。来日した将校たちは在庫品となってしまった日本の真珠を楽しみにしていたといいます。戦前から日本の真珠は有名でしたから、これも当然のことでしょう。

真珠は外貨を稼ぐために、国内での取引を禁止され、すべて輸出品に回されました。贅沢品とされ、戦争中は敵視されていた真珠でしたが、やはり日本ブランドは健在で、トップクラスの輸出額を誇る産業となりました。

日本にめぼしい輸出品がなかった時代ですから、真珠の存在はひときわ輝いていたのです。外国から日本を訪れる時、まず買うのは真珠で、真珠業界は外国に向かって輸出を強化する。マリリン・モンローが新婚旅行で日本を訪れた際に、真珠のネックレスを買ったという逸話はあまりにも有名です。

クリスチャン・ディオールら新進気鋭のデザイナーもこぞって真珠をつかったコーディネートでモードを席巻し、戦後の世界で空前の真珠ブームが巻き起こります。これが日本の真珠産業の後押しになり、輸出も好調を維持しました。

日本に養殖真珠がなかったら……。戦後の日本の復興、経済成長はもう少し違った形になったかもしれません。

参考文献:山田篤美『真珠の世界史』(中公新書)