コラム

実は真珠は薬だった!?日本で発明された、意外な真珠の活用法




日本で真珠といえば、実は最高の漢方薬だった。こういったら皆さん、驚くのではないでしょうか?もちろん、現代の日本ではなく江戸時代の話です。

同時代のヨーロッパではガラスでできた模造品も出回るくらい大人気の宝石でした。ところが日本では装飾品としてはほとんど関心をもたれず、むしろ薬として価値を持たれていた、というのだから驚きです。今風にいえば、サプリメントとして活用されていたのです。

当時の日本は、言わずと知れた鎖国時代で、海外との貿易は限定的なものでした。宝飾品としての価値を知っているのは、長崎出島にやってきたオランダ商館村の関係者と、真珠の産地だった長崎・大村湾、薩摩近海では海外との取引で収益を得ていたという記録が残っています。

いずれにしても、日本人の関心は宝飾品ではなく医学だったのです。江戸時代末期まで、医学の知識で強い影響力を与えていたのが中国でした。自然界の動植物が一体、どのような効果があり、どのように使えるのかをまとめた中国の書物のなかに真珠について語った一節があります。

それによると、真珠は粉にしてつかえば、心を静める、肌に潤いを与えるといった効果が書かれています(もちろん、現代医学ではありませんので、本当にそのような効果が科学的に証明されているかどうかは別問題です)。中国の医学書が、薬用として使われる真珠が広まる後押しになりました。

江戸時代の人々は真珠を薬として丁寧に取り扱っていたのです。



ところで、真珠を飲んでいたといえば、歴史上、もっとも有名なあの女性がいます。クレオパトラです。

古代ローマの書物『博物誌』で有名なプリニウスによれば、クレオパトラは当時、歴史上もっとも大きな2つの真珠を持っていたといいます。一説には一粒で黄金570キロ、現在の価格に直して15億円とも20億円とも言われる価格になります。

シェクスピアの戯曲や、その後も様々な創作物の中で取り上げられてきた有名なエピソードです。 ある賭けに勝つため、クレオパトラは酢の入った容器に真珠を溶かし、一気に飲み干したのです。この行為がきっかけで賭けに勝ちました。しかし、やはり疑問は多くでています。 そもそもの疑問は、本当に真珠を溶かしたのかどうか?という点です。 真珠が酸に弱いことは事実だとして、クレオパトラが持っていたような歴史に残るような大粒の真珠が酸に溶けるのか。簡単には溶けないという真珠屋さんが多いと思います。そうなるとクレオパトラが真珠を酢のなかにいれたのは事実だとしても、溶ける前に一気飲みしたという話になりますね。

いずれにせよ、なんとも贅沢な話です。こんな高価なものを飲み干すというだけで口中の話題になるのは間違いないことでしょう。

いくつかエピソードを拾うだけでも、人間にとって真珠というのはとても特別な宝石だったことがわかりますね。クレオパトラに中国の医学書、そして江戸時代の人々…。美容にも使われるのは決して珍しいことではないようです。